イメージ戦略の不思議

ある百貨店で見かけたポスター。

一流選手と思われる一団がチェックのスーツを着ている。

どうやらそのブランドを象徴するデザインらしい。

しかし、悲しいかな、誰一人として似合ってはいない。

唯一、白髪の外国人男性(監督と思われる)のみがスーツの素晴らしさを体現していた。

そう、スーツとして着用するにはかなり難しい色だったのだ。

というか、日本人男性で似合う人などいるのだろうか。

少なくとも普通のサラリーマンでは到底着こなせない。

それなりに年齢を重ね、デザインに負けないくらいの貫禄がなければ難しいかも。

それでもスポンサーが提供する衣装は着用しなければならない。

わかっていないな、と私は心の中で呟く。

「売りたい商品」「自社ブランドを象徴するデザイン」ではなく、「モデルとなった男たちをカッコ良く魅せるデザイン」でなければ逆効果になるのに。

事実、ポスターの中の男たちは少しもカッコ良くなかった。

それどころか彼らの魅力を台無しにしているようにも見えた。

同様のことは雑誌の広告にもあるし、テレビのCMにもある。

口紅一つとっても、そのモデルに合っていなければ決して魅力的ではないし、どんなに美しい女優さんでも似合わないデザインの洋服を着せられた日は正直かわいそうに…と同情する。

「美人は何でも似合う」と思いがちだが、世の中そんなに甘くないのだ。

むしろ美人であればあるほど選択肢は狭まり、その代わりに似合うデザインを纏った時は最高の輝きを放つのに。

何故イメージ戦略に力を入れる広告が「イメージダウンにつながる」広告を発信するのだろう。

自身のセンスを過信し過ぎるからか。

はたまたセンスそのものを持ち合わせていないだけなのか。

何れにせよ、残念な広告は後をたたず、勿体無いなぁと呟くのである。

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