自分の好き嫌いを他人に強要するべからず。

自分が好きなモノを否定されるのは辛い。
気にしなければ済むことでも、気になり出したら気になるのだ。
尤も、私達には自らの意思で情報をシャットアウトすることが出来る。
特に紙媒体やWEBの情報は。
故に不快感しか感じないなら、意識的に耳を塞げばいい。
業務上不可欠な情報で無い限りは不都合は無い筈。
まして趣味趣向に関するものなら、敢えて遮断するのも一つの考え方だ。
勿論、多くの人にとって困難なことであるのは解る。
私自身、長い間遮断出来ない情報源が幾つかあり、その度に「どうしても必要な情報なのか。他では代用出来ないのか。」と自問自答し、不快な思いをしてまでも欲しい情報じゃないと判断、漸く断ち切ることが出来たのだから。
さて、昨日あるラジオ番組にて「似非関西人を炙り出す言葉」なるものが存在することを知り、そうしたツールを用いて差別化を図ることがやがて大きな差別(人種差別を含む)に繋がることに気付いた。
関西在住=関西人では無い訳だし、偶々関西弁を操っていたとしてもネイティヴでは無いからと言って笑いモノにされるのは心外である。
例え発言者に悪意が無くとも疎外感を感じる人は少なくないだろうし、実際私は不快感を覚えた。
発言者は思ったことを口にしたに過ぎないのだが、言われた側は言い知れぬ不快感を抱えてしまう。
ただ、一々抗議しないのは場の雰囲気を守る為であるし、そのような言動をする輩には何を言っても無駄だから。
ところが、そういう輩に限って、逆の立場となるとここぞとばかりに不満を吐き出す。
ある評論家が行った村上春樹論が気に入らなかったらしく、他人の褌で相撲を取る輩だの、村上春樹の本質を何一つ解っていないだの、作家というのは年月と共に変容するのが当たり前だの、言いたい放題。
余程気に触る内容の評論だったのだろう。
見かねたアシスタントが読まなければいいとアドバイスするも、その人のぼやきは止まらず。
思わず見苦しいと呟いたのは、昨日の似非関西人を炙り出す言葉の件が印象に残っていたから。
自分のことは棚に上げて、よくぞまぁ評論家の悪口を言えたものだ。
そりゃ、気持ちは解る。
誰だって好きなモノは貶されたくない。
でもね、自分が興味を持てない事柄に対する言動は聞くに堪えないものだよ。
忘れもしない、リスナーの一人がSMAPの草?くんと香取くんの舞台を見に行きます…とメールした時のあなたの対応。
興味がないのは仕方ないとしても、観る価値のない舞台であると言いたげな口振りには正直驚いてしまった。
舞台の価値はお金を払って観た人が判断すればいいもの。
出演者の名前だけで一部のヲタ向け舞台と決めつけるのは如何なものか。
結局、あなたが嫌う評論家と同じことをしているだけなのだ。
ま、リスナーの方が大人だから、そんな言動すら容認出来るのだろう。
因みに、似非関西人の私には到底理解出来ないけど。