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失言から学んでみた。

マイノリティに属する人々がいる。
正直彼らを理解することは難しいが、それでも彼らを差別しないよう努力することは出来る。
それが良いか悪いかは別として、多くの人たちはそう考えていることだろう。
かくいう私もその一人だ。
(厳密に言えば、私たちの全てがマイノリティに属しており、それ故些細な言動に傷ついたり、激昂したり、はたまた酷く落ち込んだりするのだと考えているが)
さて、あるラジオ番組でユニークな貼り紙について幾つか紹介されていた。
そのうちの一つが万引きに関するもので、記憶に誤りがなければこういうニュアンスだったと思う。

「万引きは犯罪です。」
「当店では、万引きを発見しても警察には突き出しません。」
「但し、当店の店長は○○です。」

私を含め、多くのリスナーたちはこの貼り紙に爆笑したことだろう。
但し書きから想像出来る「ある光景」を思い浮かべ、それなら警察に突き出された方がまだましだよね…と思いながら。
この貼り紙を紹介したパーソナリティもまた、声を上げて笑っていた。
一緒に番組を盛り上げるアシスタントも含めて。
そう、当事者(○○に該当する人たち)以外にとっては非常に面白い貼り紙だった訳だ。
当然、不快に感じる人も出てくる。
あまりに無神経ではないか、と憤る人もいる訳だ。
どうやら苦情の電話が入ったらしく、翌日の放送ではその苦情が紹介されていた。
通常であれば、その件に関して謝罪の言葉を述べるだろう。
発言者にそうした意図がなかったにせよ、結果的には聞き手であるリスナーに対して不快な思いをさせてしまったのだから。
ところが、このパーソナリティ。
素直に「当方の言動により、不快感を与えて申し訳ありません」と述べればいいものを、如何にも「上層部に命令されたから謝罪してやっているんだ」と言わんばかりの態度で謝罪文を読み上げてしまった。
それだけでも十分不快なのだが、恐らくそうした文面を読まされること自体に納得していなかったのだろう、一行読み上げる度に不自然な沈黙が流れるから、結果的には「俺は何も悪くない。悪いのは過剰な反応をする一部のリスナーだ。」と考えていることが明白になってしまったのである。

一連の出来事から、私は改めて「本音と建前」を使い分ける大切さを思い知らされた気がした。
それは相手に対するエチケットであり、「建前を使うべき場面」ではむしろ積極的に活用することで人間関係は円滑になるのではないか、と。
無論、「本音をぶつけるべき場面」も少なからず存在する訳で、この両者を上手に使い分ける人こそ「駆け引き上手」なんだと思う。