自分が基準の人々。

顔見知り程度の人から「あなたは××な人ですよね」と決めつけられると、大抵の人は不快に思う。
自分のことを何も知らない癖に、と。
その癖、他人(特に有名人)のこととなると無遠慮に「あの人はきっと××に違いない」と決めつけてしまうのは何故だろうか。
勿論、彼らに悪気はない。
むしろ無意識のうちにイメージを膨らませているのはわかっているが、それを自分の中で消化するならまだしも、公の場(それがweb上であっても、だ)でそれを語るのは如何なものか。
それに共感する人々が集まり、「そうよ、そうよ」と盛り上がったところで“その人”の本質などわかりはしないし、場合によっては冒涜となる。
けれど、想像力に欠ける彼らはそんなことなどお構いなし。
読む人が読めば「馬鹿だな、こいつら」と思われることを平気で語っている。
残念ながら、こういった行為は知的レベルと正比例する訳ではない。
明らかに知的レベルが上の人でもそういった言動をする人を見かけることはあるし、正直知的レベルに関わらず、意識的にそういった言動を慎む人は存在する。
物事を決めつけることの怖さを本能的に感じ取っているのだろう。
かくいう私はどうかといえば、悲しいかな、ついつい他人を決めつけてしまうタイプ。
それがどれほど失礼な行為であるかは理解しているので、務めてそういった言動をしないよう心掛けてはいる。
心掛けてはいるが、何かの拍子に“暴言”を吐くことは多々あるし、それによって壊れた人間関係があれば自己責任と割り切ることにしている。
事実、非があるのは自分自身であるし、それを受け止めないからといって相手を責めることも出来ない。
私に許容範囲があるように、相手にも許容範囲はある。
それを超えた時点で「The End」なのだ。
ところで、近頃の人々は「自分が不快だから」行動を改めるよう要求する人がやたらと目立つ気がする。
例えば、女性用下着を販売する店。
一昔前の男性であれば、間違ってもそういった店に足を踏み入れようとはしなかったし、何らかの事情で立ち寄らなければならない時でも、知り合いの女性に頼むなどして出来るだけ避けるようにしていたように思う。
ところが、最近はカップルで来店することもあるとか。
正直私には理解出来ない行為であるが、人は人、自分は自分。
異性の視線が気になるならその店を出れば良いし、間違っても「男性は入店しないで欲しい」と主張しようとは思わない。
けれど、多くの女性はそうではない。
「女性用下着の店だから、男性は来店すべきではない」なのだ。
おっと、「男性用下着の店」で買い物をするのは女性ではないかな?
それ以前に「男子禁制」と店側が張り紙をしていない限りは男性客を締め出すことは不可能だし、それこそ「ばっかじゃないの」と揶揄されても申し開きは出来ない。
「私が不快だから」は理由にならないのだ。
とはいえ、本気でそういった言動を繰り返す人をあちらこちらでお見かけうするから、私が思う以上に「自分が基準」の人が存在しているのだろう。
或る意味羨ましいが、ああはなりたくないと常々思う私だ。