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紫の思い出。

実は、紫が嫌いだった。
子供の頃に見たテレビ番組が切っ掛けで、それこそ紫を見ただけで気持ちが悪くなったものだ。
ところで、子供が何気なく描く絵に様々な問題が内包されていることをご存じだろうか。
生憎この件については殆ど知識がないし、恐らく研究が進んでいるとは言い難い状況だろう。
けれど、私が小学生の頃には既にそういった考え方は広まっていたし、積極的に研究している人も存在していたようだ。
画面に映し出されたのは病気に苦しむ子供や、事故で命を落とした子供が描いた絵ばかり。
全体的に色彩が暗く、クレヨンで描いていた筈だが、やたらと焦げ茶や紫が目立っていた。
また、構図的にも問題があったようで、「お子さんがこういう構図を描いた際は、いつも以上にその行動を注意してみてあげてください」といった趣旨の解説がされていたことをぼんやりと覚えている。
記憶違いでなければ、その子供は車輪のような円の中に自分の姿を描いていたっけ。(その後、その子供は事故死したという)
で、紫であるが。
これは確か、病気を暗示する色として紹介されていた。
事故で命を落とすのも嫌だが、子供心に病気で苦しむのも嫌だったのだろう。
以来、紫は嫌いな色の一つとなり、一切見向きもしなくなった。
結果的には色彩心理に対する強い関心を生むことになったが、長い間私は「紫の呪縛」に悩まされることとなる。
これはこれで不幸なことなのだろう。
さて、現在の私はどちらかといえば赤みを帯びた紫が好きで、自分でも好んで身に着ける。
逆に青みがかった紫はどうも苦手で、無意識のうちに避けている様子。
もともとピンクが好きだったことも影響しているだろうし、何処かに赤に対する憧れもあろう。
いずれにせよ、赤でもなく、ピンクでもなく、赤紫と呼ばれる色が私は好きであり、一時は毎日のように似たような色を身に着けていた。
果たして、これはどういった心情なのか。
精神的に疲れていたのだろうか。
救いを必要としていたのだろうか。
ただ単にスピリチアルな世界に関心を持っていただけだろうか。
今となってはわからないが、少なくとも「必要な色」だったことは確か。
これまでにも何度か「必要な色」が存在していて、それこそ理由もわからぬままに取り入れたことがある。
ピンク然り。
チャコールグレー然り。
ペパーミントグリーン然り。
そうすることでバランスを保たなければならないほど、私の心は危うい状態だったのだろう。